TOP今、土木が熱い!土木見学土木見学リスト>ねじりまんぽ>


ALPHA-SPACE55

ねじりまんぽ(煉瓦斜架拱)


馬場丁川橋梁/JR京都線/京都市西京区
撮影/平成23年4月29日


   も く じ
■■ 1.「ねじりまんぽ」とは
■■ 2.「ねじりまんぽ」を見に行こう
■■ 3.「ねじりまんぽ」の構造
■■ 4.「ねじりまんぽ」建設再現
■■ 5.番外偏
/ねじるべきだったのに・・・
/車石/矢穴
■■ 6.マスコミで紹介されました
■■ INFORMATION
/参考文献、リンク
■■ 「ねじりまんぽ」一覧表
/別ページに移動
下のボタンを押すとご覧のページを
facebookシェアーすることが出来ます
下記は広告です(広告ページへ移動します)



      
1.「ねじりまんぽ」とは



写真1−普通のマンポ/JR京都線/甚兵川橋梁

写真2−ねじりまんぽ/京都市、インクライン

写真3−ねじりまんぽの煉瓦の積み方
/アーチ部はこのように傾斜を付けて積まれます。
/側壁部(下部)はイギリス積という積み方です。
/京都市、インクライン

写真3−線路道路との関係イメージ
たけちゃん作成・模型の写真に加筆

写真4−端面(妻部)
/出入り口部も道路に対し斜めになるので、
 煉瓦の妻側を面一になるようにはつったものが多い。
/JR京都線/奥田畑橋梁

■平成22年(2010)、高校〜大学時代の友人”たけちゃん”が大阪に帰ってきて以来、彼が『はまった』明治時代の土木遺産
  ”ねじりまんぽ”(煉瓦斜架拱)
に、こちらもはまってしまいました。

明治時代、田んぼや水路・通路があったところに鉄道を横断させたので、水路や通路が分断されました。
そこで、マンポ(正確には鉄道の橋)を造ってこれまで通りに通れるようにしたというわけです。

■鉄道と道路が直角に交差するところでは普通に水平に積んでアーチを造っていくのですが、(写真1参照) 線路と道路(マンポ)がある角度以上に斜めに交差する場合、このねじりまんぽが施行されました。(写真2参照)

レンガと線路とが概ね直角に交差するように、レンガを積んでいます。(写真3参照)

結果的に道路側から見るとアーチ部分の煉瓦が捻ったように見えるのです。

■ねじりまんぽの数は正確には把握されていませんが、元々施工例が少ない上、老朽化や廃線で撤去され、現在は、全国に30箇所程度しか無いと言われています。その内、約2/3が近畿地方にあります。

(最新の箇所数はこちら⇒「ねじりまんぽ」一覧表>箇所数

特に旧東海道本線は、ねじりまんぼの宝庫と言われています。

■世間が花見で浮かれている平成22年4月10日、JR山崎〜島本〜高槻を線路沿いにママチャリで走り、地図を片手に、JR京都線のトンネルを一つ一つ見て回りました。

家を出てから約1時間、普通のレンガ積みのトンネルばかりでしたが、9箇所めで、ようやく”ねじりまんぼ”を発見しました!!

北側半分はコンクリート製ですので線路を増設した時に新しく作った物でしょう。南側は正真正銘明治9年完成のマンポです。

西郷隆盛がまだ生きていた明治9年から、130年以上現役の土木構造物です。

■レンガは今のものとは寸法が違います。現場によっても様々な形状のものが作られていたようです。

ちなみに、JR京都線に使われた煉瓦は、京都の桂で作られたそうです。

また、積み方も色々です。

天井のアーチ部分は一般的な”長手積み”ですが、JR京都線の側壁部分は、”イギリス積み”が多用されているようです。

その他、迫受石の有無、端面(妻側)の形状等にも様々な種類があります。


■イギリス積み、オランダ積み

コーナーの仕上げ形状により、イギリス積みとオランダ積みが区分されますので、弊社のホ−ムペ−ジでは文献「鉄道と煉瓦」にならい、一般的に”イギリス積み”と表記します。

また、コーナー部”オランダ積み”と確認できたもののみ”オランダ積み”と表記します。


■現存するねじりまんぽの箇所数について

  最新情報は⇒こちら(別のページが開きます)


JR京都−大阪間(約43km)には、明治9年までに作られた煉瓦アーチ橋(スパン1.0m以上)が約80箇所有りました。

その内、向日町〜山崎〜高槻〜茨木に作られてものは殆どが残っており、日本全国に30箇所程度しか残っていない”ねじりまんぽ”も3箇所含まれるなど、貴重な土木遺跡群となっています。

そこで、この区間を全国的知名度の高さと、距離的中心駅名(現状では島本駅)から山崎駅の名を取って「山崎煉瓦アーチ群」と勝手に名付けました。※参考/2021.4.22追記

この区間の煉瓦アーチ群は、土木学会にて、
 大阪京都間鉄道煉瓦拱渠群
として
 選奨土木遺産
に認定されています。


     
2.「ねじりまんぽ」を見に行こう
表題の番号(No.**)は、「鉄道と煉瓦」表4-1”一覧表”(P117)における番号を採用しています。
No.31-穿屋川橋梁/No32-(仮)栃原(とちはら)橋梁/No33-浅川橋梁/No34-(仮)皇后崎橋梁
は記載がないので続き番号としました。
また、ねじりまんぽの各ページは”たけちゃん”(外部リンク)と協力して作っていますので、
写真、図表、データシート(PDF)添付資料等々、たけちゃん作成の資料を用いています。


■No.1-旧碓氷第12橋梁
■1963年頃撤去  ■開業/明治26年(1893)

■場所/群馬県安中市

■路線/信越本線/横川−軽井沢三国駅

■たけちゃんが参考文献を元に3Dと模型で復元を試みました。

■詳細情報はこちらです。

■No.2-旧碓氷第15橋梁
■1963年頃撤去  ■開業/明治26年(1893)

■場所/群馬県安中市

■路線/信越本線/横川−軽井沢三国駅

■たけちゃんが参考文献を元に3Dと模型で復元を試みました。

■詳細情報はこちらです。

■No.4-眼 鏡 橋
■銘板/不明  ■開業/大正2年(1913)

■場所/福井県坂井市三国町宿1丁目

■路線/えちぜん鉄道/三国港駅−三国駅

■現地撮影/平成24年9月1日(たけちゃん)

■三国港駅のすぐ東側にあり、平成16年には「国登録有形文化財」に登録されています。たけちゃんの観察では、れんがも目地も新品になっているようです。珍しい跨線橋で、端面は4層の鋸歯。斜架角は約60度です。

■詳細情報はこちらです。

■No.5-甲中吹橋梁
■銘板/甲中吹橋梁  ■開業/明治20年(1887)

■場所/岐阜県瑞穂市横屋

■路線/JR東海道本線/穂積−大垣駅

■現地撮影/平成28年7月2日

■アーチ末端面の4巻の鋸歯が特徴です。側壁は石積み構造。水路用であったが現在は下部がボックスカリバートになっています。竣工寺は水路に蓋が掛かっていたのでしょうか。軽4程度なら通れる幅なので、少々傷が付いています。また、北端アーチ部は鉄板で補強されています。

■詳細情報はこちらです。

■No.6-甲大門西橋梁
■銘板/甲大門西橋梁  ■開業/明治20年(1887)

■場所/岐阜県大垣市和合新町2丁目

■路線/JR東海道本線/穂積−大垣駅

■現地撮影/平成28年7月2日

■滋賀県に多いアーチ末端面の4巻の鋸歯が特徴です。側壁はイギリス積み構造。車が通るのは無理なため、傷も少なく綺麗な状態です。

■詳細情報はこちらです。

■No.7-小田原川橋梁
■銘板/422K 010M 55 ■開業/明治17年(1884)

■場所/岐阜県不破郡関ヶ原町野上

■路線/JR東海道本線/関ヶ原駅−垂井駅

■現地撮影/平成24年8月4日

■線路沿いの農道からでも覗ける解りやすい位置にあります。水路専用です。端面の一部がセメントで塗られていますが、北側では3層までは確認できます。実は4層だと言うことが南の端面で解ります。斜架角は約70度です。

■詳細情報はこちらです。

■No.8-烏谷川橋梁
■銘板/不明 ■開業/明治23年(1890)

■場所/三重県伊賀市柘植町

■路線/関西本線/加太−柘植

■現地撮影/平成26年10月12日

■斜架角から求めた起拱角の理論値と実測値に大きな差があります。正径間=4.27mは関西最大の大きさです。石畳の護床工がなされ、石積4.5段に帯石、パラペット、笠石を備えいます。山崎煉瓦アーチ群の建設から14年後、意匠にも配慮がうかがえます。

■詳細情報はこちら

■No.9-六把野井水拱橋(ろっぱのいすいきょうきょう)
■銘板/六把野井水拱橋 ■開業/大正5年(1916)

■場所/三重県いなべ市町員弁町下笠田

■路線/三岐(さんぎ)鉄道北勢(ほくせい)線/楚原(そはら)−麻生田(おうだ)

■現地撮影/平成27年2月28日

■斜架角から求めた起拱角の理論値と実測値は完全に合致。正径間=5.9m、斜径間9.1m。現存するコンクリートブロック製の橋では唯一のねじりまんぽです。

■詳細情報はこちら

■No.11-市三宅田川橋梁
■銘板/不明(No.とうかい51の50m南)■開業/明治22年(1889)

■場所/滋賀県野洲市野洲512付近

■路線/東海道本線(JR琵琶湖線)/野洲−守山

■現地撮影/平成26年2月23日

■起拱(きょう)角は非常に小さく(≒8°)、撤去された「安井橋梁」に次ぐ小ささです。
南側の抗口では鋸歯が確認できました。

■詳細情報はこちら

■No.12b-旧狼川トンネル
■銘板/不明(No.とうかい68と平行)■開業/明治23年(1890)

■場所/滋賀県草津市南笠東1丁目(北側)〜2丁目(南側)

■路線/東海道本線(JR琵琶湖線)/南草津−瀬田

■現地撮影/平成26年2月23日

■抗口だけが”ねじれ”ているものは全国に2箇所しかありません。その一つがこの「狼川トンネル」。 トンネルは当時天井川であった狼川の下に掘られました。河川の河床掘削により中央部は撤去、北側と南側の抗口付近のみが残っています。抗口だけが”ねじれ”ているため、途中からレンガの方向折れる様に変わるのが最大の特徴で、構造的にも珍しいねじりまんぽです。

■詳細情報はこちら

■No.13-兵田川橋梁
■銘板/不明  ■開業/明治22年(1889)
  
■場所/滋賀県大津市杉浦町4(東)〜別保3丁目7(西)付近

■路線/東海道本線(JR琵琶湖線)/石山−膳所

■現地撮影/平成26年5月3日

■理論上の起拱角βより実測値が10°程度大きく、ねじりすぎた「ねじりまんぽ」です。階段状の側壁が特徴的な綺麗なまんぽです。複線化で生じた継ぎ目が確認出来ます。

■詳細情報はこちら

■No.14-篠津川橋梁(1)
■銘板/不明  ■開業/明治22年(1889)

■場所/滋賀県大津市中庄2丁目(東)〜別保3丁目(西)付近

■路線/東海道本線(JR琵琶湖線)/石山−膳所

■現地撮影/平成26年5月3日

■理論上の起拱角βより実測値が20°程度大きく、ねじりにねじりすぎた「ねじりまんぽ」です。複線化で生じた継ぎ目が確認出来ます。篠津川橋梁(2)とボックスを挟んで連続しており、連続ねじりまんぽは他に例がありません。

■詳細情報はこちら

■No.14-篠津川橋梁(2)
■銘板/不明  ■開業/不明

■場所/滋賀県大津市中庄2丁目(東)〜別保3丁目(西)付近

■路線/東海道本線(JR琵琶湖線)/石山−膳所

■現地撮影/平成26年5月3日

■側壁、坑門共にコンクリート製で、篠津川橋梁(1)の後に施工されたと思われます。施工は非常に雑で、漏水も多くなっています。起拱角βは、ほぼ理論通りです。

■詳細情報はこちら

■No.15-旧東川橋梁
■銘板/音羽台1号橋  ■開業/明治13年(1880)

■場所/滋賀県大津市逢 (付近)

■路線/旧東海道本線/旧大津駅−旧大谷駅

■現地撮影/平成26年5月3日

■廃線となった後も残っている珍しいケースです。「鉄道と煉瓦」では斜架角が75°となっていますが現地調査結果と矛盾。起拱角βは実測で29°です。さらに複線化時に「ねじりまんぽ」を継ぎ足した痕跡も発見。謎が一杯詰まったまんぽです。

■詳細情報はこちらです。

■No.16-馬場丁川橋梁
■銘板/不明 ■開業/明治9年(1876)

■場所/京都市西京区牛ケ瀬奥ノ防町

■路線/東海道本線(JR京都線)/桂川駅−西大路駅

■現地撮影/平成23年4月29日

■知らなかったらちょっと入る勇気の出ないような入口を入り、かがみながらコンクリートボックスの水路を進むと煉瓦が見えてきます。殆ど人目に触れたことのない幻の「ねじりまんぽ」です。

■詳細情報はこちらです。

■No.17-円明寺架道橋
■銘板/不明  ■開業/明治9年(1876)

■場所/京都府乙訓郡大山崎町円明寺

■路線/東海道本線(JR京都線)/山崎駅−長岡京駅

■現地撮影/平成22年4月11日

■人がしゃがんでやっとの高さです。おそらく日本一小さな”ねじりまんぽ”ではないでしょうか。床にもレンガが敷いてあります。これもめずらしいです。 「鉄道と煉瓦」では「円妙寺」と記されていますが、現場周辺は「円明寺」と表記されているので、ここでは「円明寺」と表記しています。

■詳細情報はこちらです。

■No.18-第248号橋梁
■銘板/不明  ■開業/明治30年(1897)

■場所/京都府相楽郡南山城村北大河原荷掛

■路線/関西本線/月ヶ瀬口−大河原

■現地撮影/平成26年10月12日

■アプローチするのに下流へ歩いて行くと小さな橋が架かっていました。その傍に運良く梯が・・・。ところが、河床に降りて20m程進むと目線ほどの高さの落差工があるではありませんか・・・・・。

■詳細情報はこちらです。

■No.20-第91号橋梁
■銘板/不明  ■開業/明治32年(1899)

■場所/京都府南丹市八木町八木 (付近)

■路線/山陰本線(JR嵯峨野線)

■現地撮影/平成26年3月9日

■β(起拱角)は関西幹線の第272号と競い日本で1番か2番の傾き。つまり、国内有数の大きなねじれです。また、θ(斜架角)とβ(起拱角)との関係は、理論値に概ね合致しました。

■詳細情報はこちらです。

■No.21-インクライン
■銘板/東側「雄観奇想」、西側「陽気発処」 ■開業/明治21年(1888)

■場所/京都市東山区東小物座町

■路線/インクライン(琵琶湖疎水)

■現地撮影/平成22年3月27日

■トンネルの表裏に額があり、東側には「雄観奇想」、西側には「陽気発処」と書いてあるそうです。JR京都線のねじりまんぽ(1876年)の12年後に作られた物です。

■詳細情報はこちらです。


■No.22-奥田畑橋梁
■銘板/No.とうかい140/奥田畑  ■開業/明治9年(1876)

■場所/大阪府高槻市梶原/JR京都線

■路線/東海道本線(JR京都線)/高槻駅−島本駅

■現地撮影/平成22年4月10日

■「鉄道と煉瓦」では「奥田端」と記されていますが、現場には「奥田畑」とあるので、ここでは「奥田畑」と表記しています。軽四車輌やバイクが通りますので、傷だらけです。

■詳細情報はこちらです。

■No.23-門ノ前橋梁
■銘板/No.とうかい154 ■開業/明治9年(1876)

■場所/大阪府茨木市田中町

■路線/東海道本線(JR京都線)/茨木駅−摂津富田駅

■現地撮影/平成22年6月3日

■大型のねじりまんぽです。昔はバスも通ったとか。斜めに切った迫受石があります。
現在でも車がり、人や車の通行量は多いです。

■詳細情報はこちらです。
■No.24-東除川橋梁(ひがしよけがわきょうりょう)
■銘板/なし ■開業/明治31年(1898)

■場所/大阪狭山市狭山4〜5丁目

■路線/南海高野線/狭山駅−大阪狭山市駅

■現地撮影/平成28年3月21日

■大型のねじりまんぽでが、市街地にあるためアクセスが難しかったです。左右岸で側壁段数が1段異なり、基礎煉瓦の段数で調整しています。上下流共に端面が目視できる数少ないまんぼの一つです。

■詳細情報はこちらです。

■No.25-安井橋梁
■銘板/不明 ■開業/明治7年(1874)

■場所/兵庫県西宮市郷免町

■路線/東海道本線(JR神戸線)/さくら夙川駅

■現地撮影/平成26年6月13日

■平成19年のさくら夙川駅開業に伴い見ることができなくなりました。おそらく、撤去または埋立されたものと考えられます。

■詳細情報はこちらです。

■No.26-東皿池橋梁
■銘板/574K226M20/東皿池橋梁 ■開業/明治7年(1874)

■場所/兵庫県西宮市郷免町

■路線/東海道本線(JR神戸線)/さくら夙川駅−芦屋駅

■現地撮影/平成23年6月9日/平成26年6月13日

■現存する我が国最古の”ねじりまんぽ”ですが、非常に残念なことに、煉瓦模様のコーティングシートですっぽり覆われています。シートの破れ目から往年の斜めになった煉瓦を垣間見ることができます。

■詳細情報はこちらです。

■No29-欅坂橋梁
■銘板/なし ■開業/大正4年(1915)

■場所/福岡県田川郡香春町

■路線/JR九州 日田彦山線

■現地撮影/令和5年2月16日

■端面6巻のうち、一番内側だけが「ねじり」になっていると思われるほか、欠円アーチ、迫受石がある等非常に珍しい構造を多く備えています。文献「鉄道と煉瓦」に記載あり。

■詳細情報はこちらです。

■たけちゃんが単独で調査してきました。

■No30-旧折尾高架橋
■銘板/なし ■開業/大正3年(1914)

■場所/北九州市八幡西区南鷹見町13

■路線/西日本鉄道 北九州線

■現地撮影/令和5年2月2日、17日

■欠円アーチ、端面にのみ迫受石、斜径間が6.40mと現存する中では二番目の長さ。(実測で欅坂橋梁と同じ)等の特徴が有ります。。文献「鉄道と煉瓦」に記載あり。

■詳細情報はこちらです。

■たけちゃんが単独で調査してきました。

■No.31-穿屋川橋梁
■銘板/422K 442M 55 ■開業/明治17年(1884)

■場所/岐阜県不破郡関ヶ原町野上

■路線/JR東海道本線/関ヶ原駅−垂井駅

■現地撮影/平成24年8月4日

■「小田原川橋梁」の西、約400m程のところに「鉄道と煉瓦」に記載の無い「穿屋川橋梁」があります。両端部、つまり出口と入口が普通の煉瓦積で、20m程進むと、三層の厚さ分広くなり”ねじりまんぽ”となっています。斜架角は約50度です。

■詳細情報はこちら

■No.32-姉橋(あねばし)
■銘板/なし ■開業/不明

■場所/三重県多気郡多気町・大台町

■路線/熊野古道

■現地撮影/平成28年10月29日

■文献「鉄道と煉瓦」に記載はなく、”廃道マニア”によって平成23年に新発見されました。”ねじりまんぽ”としては国内唯一の道路橋です。笠石(Co)の有る高欄(フランス積)を備え、端面は煉瓦化粧板で覆われており(他に例なし)巻数等は不明です。

■詳細情報はこちらです。

■調査時点では「(仮)栃原(とちはら)橋梁」と表記していましたが、2021.12.30に情報提供が有り、「姉橋(あねばし)」に訂正しました。

■No.34-皇后崎(こうがさき)橋梁
■銘板/なし ■開業/不明

■場所/北九州市八幡西区皇后崎町2

■路線/不明

■現地撮影/令和5年2月3日

■文献「鉄道と煉瓦」に記載はなく、”ねじりまんぽ”としては二つ目の道路橋と思われます。笠石や高欄はなく、あっさりしたデザインです。

■詳細情報はこちらです。

■たけちゃんが単独で調査してきました。

      
3.「ねじりまんぽ」の構造
(写真、資料提供/たけちゃん)

■さて、ここからは学友”たけちゃん”のブログから、

ねじりまんぽの構造概略を紹介します。(資料提供/たけちゃん)


■現場条件/道路とレールの交差角度(斜架角)

交差角度(斜架角)θと煉瓦の立上り角β(起きょう角、スキュー角)の関係式は
     tanβ=2/(π tanθ)
現場の条件からθが決まるとβも決定します。

θ=A,B,Cで結ばれる角度
   ACは道路の軸線、BC=トンネルの入り口面=レールの方向
   BC=平行=B'C'(レールが登っているので平行には見えない)
交差角度(斜架角)θ

この煉瓦の立ち上がり角度がβ

■展開図

(斜架角)θと(起きょう角、スキュー角)βからアーチ部煉瓦の展開図を作成します。
その手法は「斜架拱(しゃかきょう)」に書いてある「螺旋法」によるのですが、このあたりの細かいことは原著を見ていただくか、たけちゃんのブログを参考にして下さい。

完成展開図 ペーパクラフト

    
4.「ねじりまんぽ」建設再現
(写真、資料提供/たけちゃん)

ねじり部展開図と煉瓦の作成 完成展開図
セントル(半円筒作業台)に上板を張る
現場での組立

れんが積みスタート

1巻目完了
2巻目準備

2巻目完了
3巻目完了

スパンドレル
スパンドレル

作業床(セントル)撤去
完  成

     
5.「ねじりまんぽ」番外偏
    
■車石
■江戸時代、馬車・牛車を庶民が利用することは、禁止されていたそうです。

しかし、1800年当時、大津から京都へは、年間60万俵の米が運ばれる程物流が盛んで、この逢坂峠を超える急な区間のみ、牛車を使うことを許されていたそうです。

■驚くことには、歩車道の区別が有り右側通行です。歩道は安全のため一段高く作られていたといいます。

そんな峠越えの道の

 轍の残った敷き石(車石)

が今も残っているらしい・・・。

ねじりまんぽも未だ制覇していませんが・・・。

■車石の詳細はこちらへ・・・⇒番外偏−1/車石

    
■矢穴
■ねじりまんぽ友人の”たけちゃん”がブログで”煉瓦アーチ”の側壁に”矢穴”を見つけたというので早速見に行きました。

以前から彼は、高槻城の石垣の石が明治期鉄道建設に使われたことに触れていたのですが、読み飛ばしていました。

■大河ドラマでも登場するキリシタン大名高山右近の高槻城は、明治維新で廃城。石垣の大半が鉄道建設のため、橋台や基礎に転用されたそうです。

城趾には切り出した際の「矢穴」痕や刻印を残す石が展示されています。

さらに、大山崎から茨木にかけてのJR線(山崎煉瓦アーチ群)の基礎石は、かっての高槻城の石垣石だと言われています。(イラストは「滋賀県文化財保護協会-紀要21」より)

■矢穴の詳細はこちらへ・・・⇒番外偏−2/矢穴

     
■ねじら〜ず
■伊予鉄道横河原線第26号溝橋は、線路と道路が斜めに交差しているにもかかわらず、「ねじりまんぽ」にはなっていません。

坑門上部のパラペ ッ ト部分 の煉瓦を少しずつ角度を振りなが らオフセ ッ トさせることによって、一般のアーチ構造でありながら坑門の上部を水平に仕上げ ることに成功している、特筆される「まんぽ」です。

■ねじりまんぼを取り上げた書籍「鉄道とレンガ」(小野田茂)では

  「パラペットをシフトさせた斜めアーチ」

として紹介されています。現地には、
  土木学会選奨土木遺産
  松山市景観形成重要建造物
の銘板が掛かっています。

■しかし、たけちゃんがふと思ったのは、
  パラペットをシフトさせなくてもえーやん。

単なる直アーチでも同サイズのアーチ橋が出来るんです。
  そもそも、アーチ橋が必要?
スパンは3mほど。

すぐ近くの石手川橋梁は100フィート橋に4mほどの桁橋を連結していますので、3mの桁橋は技術的に不可能ではなかったはずです。
  デザイン優先で造った橋と言えないだろうか。
と言うのがたけちゃんの意見です。

■ねじらなくても良いような角度でも
  ねじりまんぽ
にした逆の例も有り、当時の技術者の
  遊び心?
  デザイン重視?
謎が一杯です。

■写真、情報、イラストは全てたけちゃんから頂いたものです。
詳しくはこちらをご覧下さい。(外部リンク)

⇒>第26号溝橋-1第26号溝橋-2第26号溝橋-3

以上、たけちゃんのブログ Day by day(外部リンク) より

斜め上方から 平面図

    
6.マスコミで紹介されました

朝日新聞・阪神版、インタビュー
平成28年11月5日/朝日新聞・阪神版

■またまた、呼ぶんです。「ねじりまんぽ」は・・・・。

昨年秋、「奥田端のねじりまんぽ」を見に行った直後に”関テレ”が来社。

今年2月には毎日新聞(京都版)も来社。

3月に狭山池放流水路の「東除川橋梁」を探検した直後には、朝日新聞・大阪版からインタビュー依頼が有りたけちゃんが対応。

そして今回、10月29日に三重の(仮)栃原橋梁を見に行くと、31日には朝日新聞・阪神支局からメールでインタビューを依頼が来ました。

新聞写真をクリック⇒大きな画像が開きます

■11月1日、15分ほどでしたが、電話で、質問に答える形でインタビューを受けました。

西宮にある「東皿池橋梁」がテーマで、「ねじりまんぽ」の構造や歴史、魅力についてお話しました。

11月5日発行、朝日新聞・阪神版の

   「Re:お答えします@はんしん」

というコーナーです。

■記事では

   「ねじりまんぽに魅せられ、各地を歩く人」

そして、

   「計測データなどの情報をネット公開している」

と紹介されました。また、

   「現存するねじりまんぽは、全国に28カ所」

   「明治の煉瓦橋は阪神・淡路大震災でも崩れず、いまも電車走る『現役』」

   「昔の技術者の心意気」

と言った内容が掲載されました。

■詳しい掲載内容は下記をご覧下さい。

朝日新聞デジタル(外部リンク)/無料登録をすれば全文読めます。 (記11/11)


  朝日新聞でも紹介されました  
平成28年4月13日朝日新聞・大阪版夕刊

■3月中旬に、狭山池近くの「ねじりまんぽ」を見に行ったところですが、またまた呼ぶんですね。

今回は朝日新聞からインタビュー申込の電話がありました。

■残念ながら私は年度末でそんな余裕が無いので盟友の”たけちゃん”に頼みました。

4月13日に載るとのこと。どんな記事になるか楽しみです。

■4月13日夕刊二面に載りました。

朝日新聞デジタル(外部リンク)/無料登録をすれば全文読めます。 (記4/17)



平成28年4月13日朝日新聞・大阪版夕刊

Day by day(外部リンク)

■以下に今回の取材に関する

  「たけちゃん」のブログ

を紹介します。

  蹴上のねじりまんぽ記事/4月14日

  蹴上のねじりまんぽ 長さ/4月8日

  蹴上のねじりまんぽ/4月3日


  毎日新聞で紹介  
平成28年2月11日の毎日新聞京都地方版

2月9日、「ねじりまんぽの話が聞きたい」と、毎日新聞京都支社の記者が来られました。

質問されるこた事に答え、「ねじりまんぽ」の魅力や構造、歴史、種類等の情報の提供をしました。

その内容が、

平成28年2月11日(木)の毎日新聞京都版「驚都・きょうと」で、インクラインのマンポの写真と共に掲載されました。

インターネットでも、

    毎日新聞ネット版「驚都・きょうと」/32 明治の不思議トンネル /京都
    (外部リンク/会員登録必要)

で読むことが出来ます。 (記2/13)



平成28年2月11日/毎日新聞京都地方版
      
関西テレビで紹介
撮影 :2015年9月24日/平成27年

9月22日、長いこと行ってない「奥田端のねじりまんぽ」がJRの工事でどうなったか気になったので、ちょっと見に行ってきました。触られていなかったので一安心。そこに24日、突然関テレが取材に来ました。呼ぶんですね!!

一人では心許ないので、「ねじりまんぽ研究会」のたけちゃんに連絡したのですが、「仕事中!!」 やむなく一人で対応しました。

阪神間の生活文化を描いた作品としても知られる、谷崎潤一郎「細雪」に出てくる、西宮の「マンポ」。その語源を探求する中で、ちょっとだけ、「ねじりまんぽ」が紹介されます。

と言うことで、高槻の「奥田端のねじりまんぽ」を案内してきました。私が映るかどうかは???放送は、9月30日夕方、
  17:40〜18:00(の中の数分?秒?)
  関西テレビ/夕方LIVE・ワンダー (9/27記)


と言うことでしたが、顔写真だけの出演でした。

釣り番組だと撮影した半分ぐらいは、使ってもらえるのですが、今回は「マンボ」の補足項目でしたからね。

次は、たけちゃんと二人で「ねじりまんぽ」をメインに"ブラタモリ"目指します。(2015/10/1追記)

     
INFORMATION

参考文献、リンク
        
参考文献

1) 斜架拱(しゃかきょう)/伊藤鏗太郎(イトウ コウタロウ)編訳/1899年(明治32年)

 我が国で初めて斜架拱”ねじりまんぽ”を単独で取り上げた書物と思われます。
 この論文はダウンロード(外部リンク/新しいページが開きます)可能です。

■たけちゃんが現代語訳しました。
あくまで原書を読みやすくするという意図をもって作成したものです。
たけちゃんのブログ「Day by day」からダウンロードすることが出来ます。
「Day by day/「斜架拱」現代語訳」(外部リンク)

2) 鉄道と煉瓦−その歴史とデザイン

/著者;小野田 滋(おのだしげる)/鹿島出版会/2004発行

 煉瓦の歴史や組積方法鉄道構造物としてのデザイン等について記されています。
 全国45都道府県を調査した”足で書かれた論文”で、現在も購入可能です。


3) 阪神間 ・京阪間鉄道における煉瓦 ・石積み構造物とその特徴

/著者;小野田 滋/土木史研究 第20号/2000.5

 京阪神間の煉瓦 ・石積み構造物の特徴を捉え、現地調査結果をまとめています。(PDF/外部リンク

4) 組積造による斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究
/著者;小野田 滋、河村清治、須貝清行、神野嘉希/土木史研究 第16号/1996.6

 「ねじりまんぽ」の分布や技法についてまとめた論文です。(PDF/外部リンク

5) 関西地方の鉄道における「斜架拱」の分布とその技法に関する研究」

/JR西日本 河村清治、小野田滋、木村哲夫、菊池保孝/土木史研究 第10号/1990.6

 JR西日本管内の「ねじりまんぽ」を本格的に調査し、まとめています。(PDF/外部リンク


6)碓氷峠旧線跡に残る鉄道構造物の技術的特徴と意義

/小西純一、田島次郎/土木史研究 第14号/1994.6

  この論文はダウンロード(外部リンク/新しいページが開きます)可能です。

      
外部リンク

■Day by day

 私の学友にして現役の土木技術者”たけちゃん”が、趣味で解析する
       ”ねじりまんぽ”の技法とその疑問
 「斜架拱(しゃかきょう)」に基づいて”ねじりまんぽ”の展開図や模型を作っている
 超!!お奨めのブログです。⇒Day by day(外部リンク)

  ■旧碓氷第12・15橋梁
    /碓氷第12橋梁の模型作り碓氷第12橋梁の3次元CAD作図碓氷第15橋梁

  ■栃原橋梁
    /三重のねじりまんぽ;現場報告栃原橋梁−1;模型作成栃原橋梁−2;作図と模型化

  ■東除川橋梁
    /東除川橋梁 

  ■六把野井水拱橋
    /Vol−1Vol−2/Vol−3/Vol−4

  ■篠津川橋梁についての検証
    /Vol−1Vol−2Vol−3Vol−4

  ■兵田川橋梁についての検証
    /Vol−1Vol−2

  ■旧東川橋梁についての検証
    /Vol−

  ■第91号橋梁についての検証
    /第91号拱渠 八木のねじりまんぼ

  ■狼川トンネルについての検証
    /斜拱施工法 「土木施工法」(鶴見・草間)より
    /古書発見 鶴見・草間の「土木施工法」
    /ねじりまんぼのペーパクラフト?
    /狼川 天井川のねじりまんぼ蒼い空の満月の日には

  ■茨木で”ねじりまんぽ”を発見
    /130年前のトンネル

  ■”ねじりまんぽ”をExcelで解く
    /3次元建築構造解析トンネル断面

  ■参考にした文献
    /ねじりまんぼ「鉄道と煉瓦」
    /「斜架拱(しゃかきょう)」−1斜架拱−2

  ■設計に着手
    /展開図施工準備写真展開力学論文算式

  ■茨木のねじりまんぽ
    /茨木ステンション田中の丸また富田のレール

  ■インクライン
    /花見のねじりまんぽインクラインの考察
    /雄観奇想ねじりすぎ

  ■ネジリマンポの時代
    /時代背景明治初頭今昔マップ鉄道忌避

  ■ねじりまんぽ探索
    /JR京都線馬場丁川はおもしろい

  ■ねじりまんぽ建設
    /藤田組黒鍬者募集施工方法;砂箱
    /アーチウイング無事竣工



●H26-06-22

坑門はレンガを積んである。イギリス積みである。

ちなみにアーチは長手積みという積み方である。

レンガ=Brickの頭文字をとり「B型まんぼ」と言ってみた。


●H26-07-08

東海道線の山崎〜摂津富田には面壁が石でできたまんぼも多数ある。

これをストーンのSをとって「S型まんぼ」と呼ぶとしよう。

またこのタイプは面壁だけに限らず、側壁にも石積みが多用され、面壁のウイングも極めて立派な石が用いられている。

以上 Day by day(外部リンク) より


くるまみち>煉瓦みち>ねじりまんぽ

隧道歩きの方が作った「ねじりまんぽ」の老舗ホ−ムペ−ジ。

赤川橋梁や (仮称)明治熊野街道の橋梁【別名(仮)栃原橋梁】を発見。


疎水の散歩道まんぽの由来(2021.4.22 リンク先修成)

 「ねじりまんぽ」の名前の由来についても詳しいホームページです。


「ねじりまんぽ」一覧表
別ページに移動


 
 TOP今、土木が熱い!土木見学>ねじりまんぼ


ホ−ムペ−ジへ戻る